嫌われても構わない、は幸せへ続く道
先日、PTA役員の集会で、学校へ行きました。
私の子供の学年は、他の学年に比べてPTA主催の行事が少ないので、仕事をしながらでも出来そうだと思い、引き受けました。
学年ごとに集まって話し合いをしていたのですが、その中にやる気まんまんの方がいらして、行事の中にレクリエーションを入れよう、というような空気になりそうでした。
申し訳ないけれども、私にはその余力はない、と思い、反対意見をやんわり言いました。すると、他の方が私の意見に賛同して下さって、レクリエーションは無しになりました。
少し前までの私なら、他の人にどう思われるかばかり考えて、ああいった集まりの場で自分の考えを言う、なんて出来ませんでした。
ですが、「人から嫌われてもいい。私は私の意見を言う。」という考えを実践している方と、数年前に仲良くなって、私は気づかないうちに感化されていたようです。
そのPTA集会の経験で、周りには私と同じ意見の人もいて、実は誰かがその意見を発言してくれることを待っている場合もあるのだなぁ、ということを知りました。
私は今まで、あまり自分が好きではなかったように思います。やっぱりそれは、人の目ばかり気にして、一番大切にするべき自分の気持ちをないがしろにしていたからではないか、と。今回のことで初めて自分自身を頼もしく感じて、自分を好きになれそうです。そして少し幸せな気持ちになりました。それから、私を感化してくれた、勇気のある友人に感謝しています。
初めて学級PTA委員長になってみた
親になって、早15年。15年目にして初めて、中学校の学級PTA委員長を引き受けました。 なぜかずっと、いつかはやらなければ、と思っていたので、スッキリした反面、ものすごくブルーな気持ちにも襲われています。
私に務まるのだろうか、クラスの人たちに迷惑をかけないだろうか、とか、色々ぐるぐる考えすぎて、ここ3~4日は全く食欲が湧きませんでした。
こうゆう役員を引き受けると、私はこんな風にものすごくストレスにさらされるのだな、ということも初めてわかりました。もっと平気な感じなのかな、と思っていたので少し意外な発見です。
まだ、具体的な活動はこれからなので、流れに身を任せて、目の前のことに一つ一つ
取り組んでいこうと思います。人にどう思われるか、という心配は一旦脇に置いておいて、淡々と誠実に丁寧に仕事をしようと思います。
役員選出が大嫌い
新学期がもうすぐ始まります。それに伴い、親の役員選出も近々あります。
私は親になって15年程ですが、重要な役員になったことがありません。
目立たないような、静かな役員は長くやっているのですが、人前に立たなければならないような役員は、なるべく避けています。
毎年この時期になると、大声で叫びたくなります。
「役員選出の雰囲気が死ぬほどいやだー!! 行きたくなーい!!」
これがなければ、私はあと2人は子供を産んでいると思います。
役員が死ぬほどいやなので、もう子供は産めません。
大袈裟ではなく、本当にそれが理由です。
他の親の方々は、これについてどんな心持ちなんだろう ・・・といつも思います。
私ほど重く考えない方もたくさんいると思います。
毎年、あまりの辛さに、心を無理やり「無」にして、役員選出に出席しています。
今年もきっとそうやって行ってきます。
役員が決まらない、あの重苦しい雰囲気に負けて
「えぇい!!私がやったります!!」なんてこと、口走らないように、いつも通り、
静かな私で居られますように・・・。
自分の世界の全体を眺めれば
何か自分にとって、嫌なこと苦しいことがあると、ついそこばかりを見つめ考えがちです。苦しいことって存在感が強いので仕方のないことだと思います。
最近私も、苦しい期間がありました。そのことばかり自然と考えてしまい、さらにどんどん苦しくなりました。自分の世界はもう、その案件でパンパンになっていて、100%苦しみだけで出来上がっているようでした。
だけどそれは幻想でした。
私は生きていました。
家族も皆元気でした。
御飯が美味しかった。
太陽が眩しかった。
布団の中が暖かかった。
その時の私の世界は、100%苦しみだけで出来上がってなんかいなかった。
苦しみの割合は確かに多く感じたけど、絶対に100%じゃなかったのです。
自虐的に苦しみばかりを集めるなんて、ただ自分が辛いだけ。
自分の幸せを見つけられるのは、誰でもない、自分だけです。
元気になったら、家族や出会った人に優しくしよう。
自ら、自分の世界に光を増やそう。
心地よく生きるためには、そんな方法もあると思います。
指名手配とラーメンと名前と
ラーメン屋へ行ったら
指名手配犯5、6人の 写真と名前が載ったポスターが
壁に貼られていた
じーっとそれを眺めていたら
どの人も いい名前だった
その人達の親が どんな思いでその名前を付けたのか
痛いほど伝わってくる
この人達は
自分の名前が こんなに いい名前だってことに
気づいたことがあるんだろうか
とか 考えながら ラーメンをすすった
死を怖くないと思わせてくれる人
私はいつも
先にあちらに逝った祖母が待っているのなら
死ぬことも少し 怖くはないな
と 考えていた
すると先日 私の娘と
死についておしゃべりしていたら 娘が
お母さんがあの世にいると思えば 死ぬのも怖くない
と言ったのだ
あぁ 私も 自分の娘に
死の恐怖を和らげてやれることができるのか と知り
そのことだけでも 私の生きている意味を
与えられたようで
本当に ありがたい気持ちになった