星と珈琲と徒然帳

日々感じたことを徒然なるままに書いています。

自分の世界の全体を眺めれば

何か自分にとって、嫌なこと苦しいことがあると、ついそこばかりを見つめ考えがちです。苦しいことって存在感が強いので仕方のないことだと思います。

最近私も、苦しい期間がありました。そのことばかり自然と考えてしまい、さらにどんどん苦しくなりました。自分の世界はもう、その案件でパンパンになっていて、100%苦しみだけで出来上がっているようでした。

だけどそれは幻想でした。

私は生きていました。

家族も皆元気でした。

御飯が美味しかった。

太陽が眩しかった。

布団の中が暖かかった。

その時の私の世界は、100%苦しみだけで出来上がってなんかいなかった。

苦しみの割合は確かに多く感じたけど、絶対に100%じゃなかったのです。

自虐的に苦しみばかりを集めるなんて、ただ自分が辛いだけ。

自分の幸せを見つけられるのは、誰でもない、自分だけです。

元気になったら、家族や出会った人に優しくしよう。

自ら、自分の世界に光を増やそう。

心地よく生きるためには、そんな方法もあると思います。

指名手配とラーメンと名前と

ラーメン屋へ行ったら 

指名手配犯5、6人の 写真と名前が載ったポスターが

壁に貼られていた

 

じーっとそれを眺めていたら

どの人も いい名前だった

その人達の親が どんな思いでその名前を付けたのか

痛いほど伝わってくる

 

この人達は

自分の名前が こんなに いい名前だってことに

気づいたことがあるんだろうか

とか 考えながら ラーメンをすすった

 

死を怖くないと思わせてくれる人

私はいつも

先にあちらに逝った祖母が待っているのなら

死ぬことも少し 怖くはないな

と 考えていた

すると先日 私の娘と

死についておしゃべりしていたら 娘が

お母さんがあの世にいると思えば 死ぬのも怖くない

と言ったのだ

あぁ 私も 自分の娘に

死の恐怖を和らげてやれることができるのか と知り

そのことだけでも 私の生きている意味を

与えられたようで

本当に ありがたい気持ちになった

スピリチュアルな才能が欲しかったけど

今まで本当に沢山のスピリチュアル本を読み漁りました。今朝ふと、いったい私はこれらの本から、何を得たのだろう・・・、という思いにかられました。霊感が磨かれたわけでもなく、友達が増えたわけでもない。優しい人に近づいている気もしない。

一体私は私自身をどうしたかったんだろう。今のままの私では不満で、無理やり変わることで満足を得たかったんだろうか。私はわたしをどこか全く許していないのだと思う。

頭の中だけでごちゃごちゃと、考えるだけの日々はそろそろ飽きました。新しい年も始まることだし、もう許そうが許すまいが、私はこのままで生きようと思います。現実の世界を毎日丁寧に生きていきたいです。

私のままで

友達を作るのは 苦手

興味のない話に付き合うのは とても苦痛

愛想笑いすると 顔が筋肉痛になる

私のままでいると 嫌われるような関係なら

いっそ 一人がいい

友達は無理に作るんじゃない

気づいたらいつの間にか そうなっているもの

私のままでいられるもの

100%の幸せ

健康第一なんて 口では簡単に言うけど

こんなに痛切にこの言葉の重みを

感じたことはない

仕事や家事が痛みによって

スイスイとこなせない

痛みのことしか 考えられない

地獄のようだ

顔がぶさいくだって

仕事に不満があったって

夫が冷たくたって

そんなことは もうどうでもいいよ

健康ならば もうそれだけで 100%幸せ

健康第一

神様 私がわがままでした

もう許して下さい